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2007年10月26日

栗ようかんについて

栗ようかんの歴史は興味深い歴史でした。

もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)であった。これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。

鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。別の説によると、羊の肝臓の形をした菓子である「羊肝こう」が、中国から日本に伝えられた際、「肝」と「羹」が混同され、「羊羹」と呼ばれるようになったともされる。

初期の羊羹は、小豆を小麦粉と混ぜて作る蒸し羊羹であった。蒸し羊羹からは、ういろうが派生している。

1589年(天正17年)、和歌山の駿河屋岡本善右衛門によって「煉羊羹」がつくられた。煉羊羹は寒天に餡を加え、さお状に固めたものである。こうして羊羹は日本独自の菓子となった。

江戸初期の慶安元年1648年10月19日晩には信州佐久郡岩村田の割元の篠澤佐五右衛門良重が小諸城主青山因幡守に羊羹を献上している。この文献は子孫の篠澤明剛氏が所有しているが、現在は佐久市立望月歴史民族資料館にて一般公開されている。

江戸時代は煉羊羹全盛時代であり、江戸本郷の藤村羊羹をはじめ、多くの名舗が現われた。一方、伝統的な蒸羊羹は下物とされ、関西では丁稚羊羹と称された。

1861年には、寒天を減らし、水分を多くした水羊羹が江戸清寿軒でつくられた。また、この時期には金玉かん、淡雪かん(メレンゲを寒天で固めたもの)、みぞれかんといったあらたな羊羹も登場した。

現在では、このほか、全国各地のさまざまな産物を用いた羊羹が存在し、土産品やお茶請けとして広く親しまれている。

また、中国でも、天津や北京で日本のものと同じような、小豆や栗を使った甘い「羊羹 ヤンカン yánggēng」が製造販売されているほか、中国独特のサンザシ、桃、リンゴなどを加えたフルーツ風味のものも製造販売されている

引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2007年10月01日

ボーイスカウト発祥について


ボーイスカウト( the Boy Scouts 、従来の英語名称 the Boy Scout Association から)とは、世界規模の青少年団体の名称である。

なお、ボーイスカウトやガールスカウトで活動すること、またその活動と理念をスカウト運動( Scouting ・スカウティング)と呼ぶ。


ボーイスカウト運動

概要
ボーイスカウトはイギリスの退役軍人のロバート・ベーデン=パウエル卿(以下 B-P と表記)が、イギリスの行く末を懸念し、将来を託すことの出来る青少年の健全育成を目指して創設した青少年運動である。


ベーデン=パウエル卿実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、形に囚われない戸外活動を通じて心身ともに健全な青少年の育成と教育を目的とする。なお、スカウトとは「偵察」「斥候」の意。

スカウト運動のバイブルとされるB-Pの著書『スカウティング・フォア・ボーイズ』によれば、スカウト運動の基本は、人格 (Character) 、健康 (Health) 、技能 (Handicraft) 、奉仕 (Service) の四つであるとされる。

発祥
1903年、B-P(当時は陸軍中将)が赴任先のアフリカからイギリスに凱旋帰国したとき、彼が陸軍大佐だった1899年に書いた『Aids to Scouting for N.-C.Os and Men』という軍人向けの斥候の手引き書が、多くの学校で、教育教材として使用され、少年たちにも評判が良いことを知った。しかしその本は元々軍人に向けて書いたものなので、少年を対象読者とする本ならば、さらに大きな効果を上げられると思い、青少年教育に関する研究を始めた。1906年には、彼の考えをまとめた草案を、陸軍、海軍、教会、少年団 (Boys' Brigade (BB)) などに送り意見を求めたり、「シートン動物記」の著者であり、少年団ウッドクラフト・インディアンズ (Woodcraft Indians) の創始者であるアーネスト・トンプソン・シートンとも積極的に意見交換している。

1907年、それまでの研究を実証するために、B-P は8月1日から8日の日程で、イギリスのブラウンシー島に20名の少年たちを集めて実験キャンプ(このキャンプには21名の少年が参加するはずであったが、一人の少年が体調を崩したため20名で行われた)を行い、それを基に、1908年に『スカウティング・フォア・ボーイズ』(「少年のための斥候術」といった意味)という本(六分冊として発行され、後に一冊にまとめられた)を刊行した。この本が大きな反響を呼び、本を読んだ少年たちは自発的に組織(パトロール/班)を形成して善行を始めた。これがボーイスカウト運動の原点・発祥とされている。(このように、スカウト運動は少年たちの自発活動によって始まったが、世界スカウト機構 (WOSM) では、便宜上、1907年8月1日をスカウト運動発祥の日と定めている。)

この「スカウティング・フォア・ボーイズ」は、元々ボーイ隊年齢相当の少年を対象読者として書かれたものであったが、現在では「指導者や保護者が現代のスカウト達にスカウティングを如何に伝えていくか」について説いた、指導者や保護者にとってのバイブル的な書としても扱われている。

B-P がボーイスカウトのシステムを考案するにあたっては様々な要素が取り入れられている。最も基礎となっているものは、彼が軍隊時代に身に着けた、それまでの硬直した教育システムから逸脱した創意工夫と自由の精神であるが、「スカウティング・フォア・ボーイズ」や「ローバーリング・ツー・サクセス」からも読み取れるように、ズールー人の狩猟方法や歌、アフリカの諸部族で少年を訓練する方法、自身が構築した南アフリカ警察隊の訓練法、シートンが始めた青少年活動・ウッドクラフト(森林生活法)、中世ヨーロッパの騎士道、日本の武士道などさまざまな要素が取り込まれている。

その代表的な物のひとつが、ウッドバッジ実修所(隊指導者の上級研修)修了者に付与される修了記章「ウッドバッジ」で、アフリカで軍務についていたころにB-Pがズールー族の族長から戦利品として手に入れたアクセサリー(木製のビーズを紐でつなげた長い首飾り)をばらして、研修修了の記念として一粒ずつ修了者にわたしたものである。

第一次世界大戦が終わり、誰も予想できなかった莫大な戦死者の数によってヨーロッパ中に厭戦的な気分が蔓延しため、「少年の斥候兵(スカウト)」というやや戦争翼賛的な方向を修正し、国際的で平和的な野外活動に手直しされた。

しかし、本家であるスカウト運動には軌道修正がおこなわれたものの、この発想はその他の国々でさまざまなイデオロギーに転用されることとなった。第二次世界大戦以前のナチス・ドイツではヒトラーユーゲント、ソ連ではピオネール、中華人民共和国では少年先鋒隊として、2,000万人からの子どもたちが赤いスカーフを首に巻いている[1]。